ホントにウソな話

100個の嘘を書きためていきます。

その21

ホントにウソな話だが、

 

就職活動をしていた20代のはじめの頃、わたしは朝バイトをしてから専門学校の授業へ出て、夜には企業から出された課題に取り組むという生活を送っていた。

 

デザイン系の仕事を探してわたしは夜な夜なパソコンとにらめっこしていたが、ある時どうしても睡魔に耐えきれなくなった。

 

これでは効率が上がらない。30分だけ寝よう、とわたしは思った。

 

ソファに横になり眼を閉じるとあっという間に眠りに落ちた。

 

すっかり眠り込んでしまったという感覚があった。やばい、と眼を覚ますが、頭はすっきりとしており、身体も軽い。これは30分だけのつもりが数時間眠りこけてしまったに違いない。

 

目覚ましをかけておくべきだったと悔やむがもう遅い。

 

すぐにバイトの時間になるだろう。課題を取り組む時間はない。単位に余裕のある授業を休むしかないか、と思った時、時計が眼に入った。

 

PM11時43分

 

なんとソファに横になってから2分しか経過していなかった。

 

だけど‥‥まるで何時間も寝たかのように身も心もリフレッシュしている。

 

まさか、ぐるっと24時間眠りこけてしまったわけではあるまい。日付を確かめるが、間違いなく同じ日付だ。

 

わたしは狐につままれたような気になった。

 

そして睡眠時間とその質について、まだまだ解き明かされぬ謎があることをその夜知ったのだった。

 

 

その20

ホントにウソな話ですが、

 

わたしの趣味は尾行だ。

 

街でふとすれ違った、なんの面識をない人間の後をつける。

 

あいては尾行される心当たりなどないのだから、警戒心はない。大抵、目的地にたどり着くまではその後をつけることができた。

 

とりたてて興味深い真実や衝撃的な人の裏側をかいま見たことはない。ただ、見も知らぬ他人の日常に少しだけ触れること。それだけで十分だったし、むしろそれ以上の何かを見ることをわたしは恐れた。

 

ただ、一度だけ尾行している当の相手がくるりと振り向き、わたしの方へずかずかと柄づいてきて、

 

「火、貸していただけませんか?」

 

と言った。

 

わたしが「タバコ吸わないんで、すいません」と言うと、相手はきょとんとした表情になった。

 

「そうですか」

 

相手は去り、わたしは意表をつかれて、その日の尾行はもう続けられなかった。

 

家に帰り、服を着替えようとすると、わたしのシャツのポケットから見たこともないマッチ箱が転がり出た。

 

本当にわたしはその頃、タバコなど吸っておらず、だからマッチなど必要とするはずもなかった。それなのに‥‥。

 

わたしはその日以来、尾行という文字通り悪趣味な趣味をやめた。

その19

ホントにウソな話ですが、

 

わたしは十代の頃、ある暴走族に属していた。

 

ネイキッドモデル全盛期の当時にあって、わたしはなぜか車高の高いモトクロスを乗っていた。

 

ある夜、いつものように暴走行為に勤しんでいたのだが、その日は運が悪かった。警察に待ち伏せされて散々追いかけまわされた。

 

わたしはモトクロスの機動性を活かし、舗装されていないあぜ道などに逃げ込み、事なきを得た。

 

散り散りになったメンバーに合流するため、わたしはあらかじめ決められた再合流地点へと急いだ。わたしはそこで大所帯であったチームへ帰還し、無事所定のルートを巡って帰路についた。

 

しかし、翌日、メンバーと話していると、昨夜は散り散りになった後、流れ解散ということになり、再集合はしていないという。

 

では、わたしのが合流した集団は誰だったのだろうか?

 

わたしは別のチームへ知らず知らずのうちに紛れ込んでしまったのかもしれない。確かに多数のメンバーを抱える上に、特攻服など所属を示す服も纏っていなかった当時の我々だったから、別の似たチームに紛れ込んでも気付かないことはあり得る。

 

あり得るというのは、ないわけではない、ということであり、あくまで可能性は低い。

 

だが、現実はわたしは大勢の誰かといっしょにその後もよく見知ったルールと巡って帰ってきたのだ。

 

あの夜はなんだったのだろう?

 

 

 

その18

ホントにウソな話ですが、

 

わたしはある難病を患っている。

一度は症状が悪化し、生死の境を彷徨った。

 

なんとか症状が安定してから、数年が経ち、わたしは京都のある寺院を訊ねた。

そこで護摩木に「病気がよくなりますように」と願いを込めて書いた。

 

書いた護摩木を動画に撮り、次に手にもった位置で写真に収めた。

動画と写真の時間差は一分ほどだった。

 

護摩木を納め、寺院をあとにしたわたしは、ふとさっきの写真を確認してみた。

不思議なことに写真の護摩木には「病気がよ なりますように」となっていた。

 

「く」が消えていたのだ。

 

動画の方を見てみるとちゃんと「病気がよくなりますように」と書いてある。写真の護摩木の「く」だけが丸ごと消えているのだ。

 

わたしは気味が悪くなり、同行した友人にそのことを告げた。

すると友人は動じることなくこう言った。

 

「それは苦しいの“く"だよ。“く”が消えたってことは苦を取り除いてくれたんだね」

 

それは友人の機転というより、何か天啓が降りたようだった。

 

わたしはすんなりとその言葉を受け入れた。

 

そして以来、病気は治ってしまった。

 

その17

ホントにウソな話ですが、

 

わたしは幻覚性キノコを試したことがある。

まだ規制前でしたので違法でなかったが、使用後の感想としては規制すべきだし、もう少し早くすべきだったと思う。

 

わたしは友人三人とコンビニのおでんといっしょにキノコを摂取し、およそ数時間のバッドトリップに陥った。

 

それはまさに自我が破壊されるかのような体験だった。

 

車内でトランスミュージックを聴きながら使用したのだが、すべの現実と意識がループし、そこに閉じ込められているという閉塞感に脅かされ、わたしは「これ」は死ななければ終わらないと思い込み、車から出て道路に飛び出した。

 

すんでのところで友人と止められたが、ひとりだったら死んでいたかもしれない。

 

わたしは精神的にボロボロになって帰宅した。

 

そして翌日眼を覚まし、テレビを見ると巨大なビルが崩壊する映像が何度も繰り返し流れていた。

 

その日は、9・11が起こった日だったのだ。

 

あまりの非現実な光景はわたしはまだ効き目が消えていないのだと思い、もう一度布団を被って寝直すことにした。

その16

ホントにウソな話だが、

 

わたしには毎朝出勤で通りかかる交差点がある。

 

その日は、車で信号に捕まり、窓から、ふと交差点角の電柱を見るとそこにスイッチ式信号機のボタンが設置されていた。

 

そのボックスの上になにやら本?のようなものがあった。

 

いや、本じゃない。多分手帳だ、とわたしは思った。多分というのは、なにしろ車内からのなのではっきり見えなかったからだ。

 

車を降りてまで得体の知れない手帳を確認するほど暇ではない。こちらは出勤の途中なのだ。

 

その後も、同じ交差点で止まるたびに、その手帳が眼に入った。

 

数か月経っても、その手帳はその場所に在り続けた。ある日、わたしは気まぐれになぜか車から降り、その手帳を手にとってみることにした。

 

パラパラとページをめくってわたしは「うわっ」と声を上げてしまった。

 

なんとそれはとあるタクシー運転手のものであり、後半のページには遺書のようなものが綴られていたからだ。

 

そこには家族に対する謝罪の言葉らしきものが記されていた。先に死にゆき自分の身勝手さを詫びる文章だ。

 

気持ちの悪いものを見てしまったとわたしは、すぐにそれを元の場所に戻した。

 

そのまま自分の気まぐれに後悔しながら会社へ向かった。

 

その帰り道のことだ。同じ交差点に通りかかると、なんとあの手帳がない。何か月もそこにあったものが、わたしがそれを手に取った今日に限ってなくなるとは。

 

どこか不気味な胸騒ぎを覚えながら、わたしは帰路についた。

 

そして家でテレビを見ていると、ニュースで海中から死体があがったと報じられていた。

 

なんとなしに聞き流していたのだが、そこで報じられた名前に慄然とすることになる。それはあの手帳の持ち主の名前だったのだ。

 

わたしが手帳を手にとった日に持ち主の死体があがるとは偶然とは思えないが、そこに何の意味があるのかもわからない。

 

誰かの死にゆく想いを知ってほしいと故人が願ったのだろうか。恐ろしさよりも何とも言えない切なさを感じる体験だった。

その15

ホントにウソな話だが、

 

ある日、わたしはレンタルDVD屋さんでDVDを借りた。

 

数枚のアダルトDVDをレジに置いたのだが、手続きを進めながら店員さんがこう言った。

 

「この〇〇という作品ですが前にも一度お借りになっています。大丈夫ですか?」

 

わたしは冷水を浴びせられたような気分になった。

 

店員が異性だったこともあるが、わざわざそんな確認をしなくてもいいのに、と強く思った。

 

確かに二度目だと気付いていたわけではない。知っていたら借りなかっただろう。だとしても、他の客も並ぶ中、そんな確認されるのはとても恥ずかしかった。

 

「だ、大丈夫です」

 

わたしは眼を泳がせ、わなわなと唇を震わせながら、なんとかそう答えた。

 

「そうですか。ありがとうございました」

 

店員は罪の意識など微塵もなく業務を続けた。

 

わたしは怒りと恥ずかしさの入り混じった濁った感情でふわふわと酩酊しながら車で帰路についたが、どうやって帰ったのかおぼえていない。