その11
ホントにウソな話ですが、
旅行先のアメリカでのこと。
レンタカーを借りてカリフォルニアからネヴァダへと旅をしていた時のことだ。
ある町の道路の中央分離帯が工事中らしく、黄色と黒のトラ柄の柵が百メートルほどにわたって設置されていた。
わたしたちが車でその道を走っていると、反対車線からひとりの黒人が道を渡ろうとしてくる。
横断歩道でもない場所なので、ちょっと危ないな、と思っていた。
その黒人はボーダー柄のセーターを着ていたのだが、分離帯のところまで来ると一休みといった感じで座り込んだ。
座った彼のボーダーが黄色と黒の柵とまったく同じ色と幅で、ぴったりと柵と重なったのだ。
まるでカメレオンが周囲の風景に溶け込むように、その黒人の胴体は背景のトラ柄と区別がつかなくなった。顔だけが空中に浮遊しているようだった。
その黒人も、自分のセーターが背後のトラ柄と完全に一致していることに気付いてはいない。わたしたちは、そんな奇妙な光景を横目に旅を続けた。
その10
ホントにウソな話ですが、
わたしは子ども頃、バイクのレースをやっていた。
転倒と事故はつきもので、わたしも何度か病院に運ばれたことがある。
わたしを診た医師は、
「ええと命に別状はありません。身体は健康そのものです、肋骨や肺もきれいです。ですが・・・」
なにやら言いにくそうに言葉を濁す。付き添った父は不審がり、「何ですか? 何かあれば遠慮なく仰ってください」と医者に詰め寄った。
「はい」と言いにくそうに医者は口を開いた。
「息子さんの脳は、普通の人間のものとは違います。まったく違うんです。人間のものではないからとって何か別のものだというわけじゃないんですが、こういった脳はこれまで報告されていません」
父は絶句した。わたしは自分のことだという自覚がなく、上の空だった。
「よければ、研究させてもらいたい。いえ、是非、協力をお願いします」
医者は、わたしの脳が進化した次世代の人間の脳かもしれないし、突然変異なのかもしれないとは言ったが、正直、お手上げだと漏らした。
「お断りさせて頂きます」
息子を実験台にされると思ったのだろうか。父はわたしを連れ逃げるようにして病室を出た。
その後、もう一度事故を起こし、身体を調べられたことがあった。
医者はおずおずと切り出した。
「実はですね、お子さんには少し変わった部分がありまして・・・」
「けっこうです」
父はまたか、と思ったのだろう、強い口調で会話を打ち切って、また病院を出た。
以来、わたしは自分の脳を医師に調べさせていない。バイクのレースもやめてしまった。
その9
ホントにウソな話ですが、
わたしはある秘密結社に属している。
よく知られるフリーメイソンやイルミナティではない。中国系の結社であり、日本における人口は数十人といったところだろう。ただし、世界的にはまだまだ大きな影響力を持っている。
わたしは20代の頃に中国は西安に暮らしていた。その後、台湾で日本語教師をしていたことがあるのだが、そこである人物と出会い、さまざまな経緯を経て結社に入ることとなった。
いくつか厳守しなければならない掟はあるが、とりたてておどろおどろしいものでもないし、竹連幇のような黒社会の組織とも異なる。
また結社員だからといって何か特別な任務が課せられることもない。例会もないし、会報もなく、普段は結社員であることも忘れている。
一度だけ結社を通して、唐代のものだという硯が届けられたことがあったが、あれに何の意味があったのかいまでもわからない。
その7
ホントにウソな話ですが、
わたしは日本では絶滅したと言われている狼を見たことがある。
場所はロッククライミングの盛んなK山で、友人と合流しようと傾斜地をひとりで下っていた時、ガサっと茂みが鳴った。
とっさにそちらに眼をやると、灰色の獣が跳ねる姿が見えた。イノシシでもない。ましてやキツネやイタチでもない。
可能性としてはニホンカモシカが考えられるが、尻尾の形状が違う。
あと考えられるのは逃げ出したシベリアンハスキーか狼犬という線になる。これらと狼と見分けられる自信はない。
この山は、古代人の巨石文化の名残が多く残る場所であり、UFOの目撃談もある不思議なスポットだ。狼くらい出没してもおかしくない。
それから何度も訪れたが、二度と出くわすことはなかった。
その5
ホントにウソな話ですが、
子どもの頃、まだDVD が普及する以前のこと。
ビデオデッキの時代。わたしは新品ではないが、タイトルのシールが記入されていないビデオを見つけた。隠してあったわけではない。両親が無造作にテレビのラックの中に放り込んであった。
その日、家にひとりきりだったわたしはなぜかそれを再生してみようと思い立った。
すると、そこに映っていたのは両親の性行為だった。いまならそんな趣味があったのかと理解できるが、子供の頃のことだ。何がなんだかわからず、ものすごい衝撃を受けた。
しかし、あとから考えて奇妙だったのは、そのビデオの画面が動いていたことだ。クローズアップしたりわずかにパンしたりしていた。つまり据え置きのカメラではなく、カメラマンがいたということだ。
当時はそこまで気が回らなかったが、今考えると子供の頃とは別種の衝撃がある。
いったいどのような経緯で第三者にあれを撮らせたのだろうか。誰が撮ったのだろうか。
母は存命だが、もちろん聞く勇気はない。
人生には死ぬまで解けないし、解いてはいけない謎もあるのかもしれない。