その20
ホントにウソな話ですが、
わたしの趣味は尾行だ。
街でふとすれ違った、なんの面識をない人間の後をつける。
あいては尾行される心当たりなどないのだから、警戒心はない。大抵、目的地にたどり着くまではその後をつけることができた。
とりたてて興味深い真実や衝撃的な人の裏側をかいま見たことはない。ただ、見も知らぬ他人の日常に少しだけ触れること。それだけで十分だったし、むしろそれ以上の何かを見ることをわたしは恐れた。
ただ、一度だけ尾行している当の相手がくるりと振り向き、わたしの方へずかずかと柄づいてきて、
「火、貸していただけませんか?」
と言った。
わたしが「タバコ吸わないんで、すいません」と言うと、相手はきょとんとした表情になった。
「そうですか」
相手は去り、わたしは意表をつかれて、その日の尾行はもう続けられなかった。
家に帰り、服を着替えようとすると、わたしのシャツのポケットから見たこともないマッチ箱が転がり出た。
本当にわたしはその頃、タバコなど吸っておらず、だからマッチなど必要とするはずもなかった。それなのに‥‥。
わたしはその日以来、尾行という文字通り悪趣味な趣味をやめた。