ホントにウソな話

100個の嘘を書きためていきます。

その13

ホントにウソな話ですが、

 

小学生の頃、通学路は危険だった。

 

いまでは蓋がしてある用水路がその頃は開いていて、車道との隙間が狭かったから、小学生たちはビュンビュンと車が走る抜ける道をビクビクしながら帰ったものだ。

 

狭いのに一方通行でもないものだから、車が二台すれ違ったりなんかすると、学童たちはさらに用水路(汚いドブだった)に押し出されることになる。

 

実際、年に何人かは落ちた。

 

わたしは2年生の帰り道、背後から迫ってくるトラックに恐ろしい目にあわされた。

トラックは十分は余裕をもって道を走っていたし、わたしも振り向いてそれを確認していたので脅威は感じていなかった。

 

しかし、そのトラックは冷蔵車でリアに観音扉がついているものだった。そして、なんの具合かわからないが、その錠が外れ、扉が左右に開いたのだ。

 

トラックの車幅から突き出た扉はものすごい勢いでわたしの背後に迫っていた。

いっしょに手を繋いで帰っていた恵美ちゃんも危険を察知していなかった。

 

トラックはわたしたちの横を通り過ぎていこうとしかけたが、運転手は背後の扉が開いていることに気付いていなかった。

 

このままでは背後から数十キロのスピードで重たい扉に打ちつけられることになる。

 

しかし悪運というものは、やはりある。

 

絶妙なタイミングでわたしだけが転んでしまったのだ。扉は転んだわたしの上を通過していったが、恵美ちゃんは直撃を食らった。

 

気付けば、恵美ちゃんは全身が傷だらけで意識もなく、わたしたちの繋いだ手は無情にも離れてしまっていた。

 

事故の瞬間のことでわたしが憶えているのは鈍い音だけだ。

その後救急車が呼ばれ、恵美ちゃんはもちろん念のためにわたしまでも病院に運ばれた。

 

事故の詳細は後ろを歩いていた別の学生や、近所の目撃者から聞いたものだ。

 

幸いなことに恵美ちゃんは入院生活を余儀なくされたが、命は助かった。

 

その後同窓会で再会したが、いまでは神戸で二児の母として暮らしているそうだ。