ホントにウソな話

100個の嘘を書きためていきます。

その31

ホントにウソな話ですが、

 

 

わたしは中国に一年ほど住んでいたことがある。

 

その時、ルームメイトだったのが韓国人のキム・テフンという男だった。

彼は韓国人社会では少しはみ出し者で、なんとなく敬遠されていた。逆に日本人のわたしとわたしの友人たちとは仲良かった。

 

彼はメタルが好きで、よく部屋で絶叫するように歌っていた。

おりしも隣室では、韓国人が日曜ミサを行っていた。キムのメタルと隣室の讃美歌が壁一枚を隔ててせめぎ合っていた。

 

つにたまりかねたのか、隣室の韓国人たちがドンドンと部屋を叩き、クレームをつけてきた。どうやらわたしもキムと同類だと思われたようだ。

 

「ちょっとは控えたほうがいいんじゃないか」とわたしは言った。

 

「かもしれない」キムも納得してくれたようだ。

 

狭い留学生社会で余分な敵を作ることはない。わたしはキムがこれでおとなしくなると思いホッとした。

 

次の日、部屋で休んでいると、外からキムが帰ってきた。

 

なにやら大きな荷物を運びこんできているようだ。わたしが出迎えるとキムが大きな箱を抱えている。

 

「それ何?」

 

「アンプだ」とキム。

 

「おまえ・・・静かにするんじゃ」

 

絶句するわたしにキムは皮肉な笑いを浮かべた。

 

それからわたしたちの部屋は悪魔の住む部屋と忌み嫌われ、隣の韓国人たちはあっという間に引っ越していった。

その30

ホントにウソな話ですが、

 

 

わたしの実家は、ある車種のクラシックカーの販売や修理をやっている。

若い頃から先進的だった父の趣味で、うちの実家はロッジ風で昭和の当時としては珍しい住居だった。

 

家の隣には洋風のガレージがあり、地域でもかなり目立つ家だったろう。

 

そこへある日、ふたりの男がやって来た。

同じ建物で母がカフェをやっていたのでそこへ、編集者に連れられて来たのは、ある漫画家だった。

 

なんとそれはDrスランプ連載前の鳥山明だった。

 

うちのちょっと珍しい建物を取材しに来たらしい。鳥山明は、カフェでコーヒーを飲み、いろいろとこの建物について母親に質問した。

 

彼を新進の漫画家と知った母は、鳥山明に母屋を見せてやり、仕事中だった父にも紹介した。

 

その後、連載が始まったDrスランプは人気を博し、鳥山明はみるみるうちに人気漫画家へと成り上がった。

 

以来、鳥山明がうちへ訪れることはなかったが、始まったDrスランプにある面白いものを発見した。

 

なんと、アラレちゃんの生みの親であるノリマキ博士はうちの父にそっくりで、ノリマキの妻であるミドリさんは若き日の母親そっくりだった。

 

そしてペンギン村のアラレちゃんたちが住む家は、どこかうちの実家に似ている。

 

思い込みかもしれないが、きっと鳥山明は、うちの家と家族をモデルに漫画を描いたのだろう。

 

齢を取った母親は、ミドリさんにあまり似ていなくなってしまったが、父親はますますノリマキ博士にそっくりになってきた。

 

 

その29

ホントにウソな話だが、

 

 

わたしはインドに3回行ったことがある。

 

サイババで有名な街プッタパルティで衝撃的な体験をしたことがある。

インドにはまだ物乞いが多い。子供だったり大人だったり、女性であることもあるし障害者であることもある。

 

帰国を控えたある日、わたしは残りのルピーを使い切ろうと物乞いの女性に紙幣を握らせた。しかし、彼女は、指先を口に運ぶ仕草をするだけで金を受け取ろうとしない。

 

何か食べたいのだろうか。

 

おかしい、お金があれば、食事を賄えるはずだ。それなのになぜ、金銭を受け取らないのだろう。わたしは仕方なく、女性を連れて屋台に行った。屋台の主は、わたしから金を受け取ると、なんだかわからない揚げ物をくれた。

 

それを物乞いの女性に渡せという。周囲の人もゼスチャーでそう促してくる。

 

わたしは受け取った食べ物を物乞いの女性にわたした。女性は礼も言わず、ガツガツとそれをむさぼりはじめた。

 

瞬間はわたしは悟った。

 

この女性はたとえお金を持っていたとしても、食事を直接買うことができないのだ。わたしという第三者の手を介してしか金と物をやりとりできないのだ。

 

わたしはこれがインドに根強く残るカーストかと思い知った。

 

インドではブラーフマナ、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラと4つの階級があり、その下に不可触民(アウトカースト)が存在する。

 

彼らと接触すれば穢れを身に受けることになると言われる。

 

この資本主義の世界にあっても、アウトカーストの金を受け取ることは一般の人にはできないのだ。

 

わたしは衝撃を受けた。とてつもない世界を突きつけられた気分だった。低いカーストに生まれた者はどうやって生きていけばいいのだ。部外者には見えない厳然たるレイヤーがインドの人々を隔てている。

 

わたしは驚きとともに、インドという国の闇の深さを見た気がした。

 

 

その28

ホントにウソな話ですが、

 

 

わたしはトム・クルーズが大好きだ。

20代のはじめの頃は、好きという気持ちがピークで、わたしは居ても立ってもいられず、トムが映画の撮影で滞在しているというメキシコに飛んだ。

 

はじめての海外旅行。

わたしはよりによってメキシコというハードで危険度の高い場所を選んでしまった。

トムの滞在するというホテル(後にその情報はガセだと知る)にタクシーで乗り付けたわたしは、勇んでエントランスに乗り込もうとした。

 

が、料金を払ったタクシーは、、、、

 

なんとわたしの荷物を全部トランクに乗せたまま走り去ってしまった!

 

お金もパスポートもそこに入っている。わたしが持っているのは唯一、トムに折ってあげようと思って持っていた折り紙だけだった。

 

すべてを失ったわたしは道端の大道芸人の横で折り鶴を売って日銭を稼いだ。

お茶を奢るというメキシコ人が何度も現れたが、わたしによくしてくれる大道芸人たちは「睡眠薬が入っているからやめろ」と警告してくれた。

 

油断できない。そして帰れない。

 

警察が探しにきたが、なぜか逃げてしまった。母国で心配していた両親が手を回して警察を動かしてくれたのだが、わたしは何故か警察に捕まったら牢獄行きだと思い込んでおり、逃亡者のように逃げ回っていた。

 

2週間ほど経った頃だろうか、やがてついに警察に捕まることになる。

 

それからもなんやかやあったものの、どうにか帰国することができた。

 

トム・クルーズに折ってあげるつもりだった鶴は、すべてメキシコ人の手に渡ったが、今思えば、それも悪くはない。

 

 

 

その27

ホントにウソな話ですが、

 

わたしは一時期、明晰夢を見る訓練をしていた。

 

明晰夢とは、自覚夢ともいい夢の中で「これは夢だ」と自覚することだ。

訓練のピーク時では、ある程度の確率で明晰夢を見ることができるようになってきた。

 

夢の中で、ある瞬間、ここは夢の中だ、と気付く。

 

そうすると夢を自由に創造できるようになる。夢をコントロールできるようになるとまず何をするかというと、ほぼ二つに絞られる。

 

ひとつは空を飛ぶことだ。

 

もうひとつはセックス。

 

わたしはその二つを夢の中で楽しむことに習熟した。やがて欲張りで横着者のわたしは一度のその両方を実現することを試みた。

 

空を飛びながらセックスをする。それは精密な集中力を必要とする非常に難易度の高い行為だった。

 

理想の異性を創造して交わりながら、空を飛ぶ。それは、たとえるなら車を運転しながら、お手玉をするようなものだった。

 

神業とも言える集中力で空中性交を続けたのはほんの十数秒だったろうか。

 

すぐにイメージは崩れ、空中浮遊が乱れはじめた。もがくように宙を泳ぐわたしだったが、不思議とセックスはやめなかった。しかし、急速に高度が落ちていく。

 

ついにわたし(たち)は、湿地帯に墜落した。落ちた場所が泥沼だったのは、無意識に墜落のショックを軽減するためだったろうか。

 

身体にリアルにショックを感じながらわたしは眼を覚ました。

 

と、同時にオルガズムに達したわたしは、衝撃と快感に板挟みになった複雑な感覚に打ちのめされながら、ベッドの中でひとり苦笑いを浮かべた。

その26

ホントにウソな話だが、

 

わたしは「愛」がつく県の主要都市で生まれ育った。

その中でも治安の悪い荒れたエリアで新聞配達をしていたのだが、雰囲気の悪い団地を一軒一軒回って集金するのはなかなかの難事業だった。

 

場末の薄汚い団地には、一癖も二癖も連中が揃っている。


中に、いつも「兄ちゃん酒を飲んでけ!」と誘ってくれる老人が居た。

歯の欠けた独居老人で、その佇まいはとうていカタギな人生を歩んできたとは思えなかった。集金中で大金を抱えていることもあり、いつもお断りするのだが、ある日、一度は酒をご馳走になってみようかと老人の部屋を訪ねた。

 

老人の部屋には夏だというのに炬燵があり、そこにグラスを用意してくれ、わたしは老人と焼酎を飲んだ。

 

なんということはない会話を小一時間ほど続けているうちにだんだんと酔っぱらってきた。

 

「あっちにエロビデオある。見るか?」

 

老人が、そう言って指さしたのはどうやら寝室らしい。わたしは濃い焼酎の入ったグラスを片手に部屋を移動した。

 

老人はビデオをセットし、わたしとベッドに並んで、画像の荒いアダルトビデオを眺めた。

 

そのうちわたしは眠気に襲われ、ベッドに倒れ込むと、やがてまぶたが落ちていった。

 

数分、あるいは数十分眠ったろうか、身体に違和感を感じ眼を覚ますと、なんと老人がわたしの股間をまさぐっていた。

 

わたしは老人をやんわり制止したが、老人はわたしに「黙っとればわからん」と意味不明の弁解をした。

 

「すぐ終わるが」

「zzzzzやめろや」

 

安い酒が回ったのか、わたしはどうも意識がはっきりしない。

 

ぶつぶつと抵抗していてもラチがあかない。老人はわたしのベルトを外し、ズボンを脱がした。パンチに手がかかったあたりでわたしはサイドテーブルにあったアフリカ風の木彫りの像を手に取った。

 

そして、わたしの股間に顔を埋める老人の頭にその原住民風彫刻を勢いよく振り下ろした。

 

老人はそのままベッドの上で動かなくなり、わたしは身を引きずるようにして部屋を出た。

 

わたしは団地の茂みで胃の中のものを思いっきり吐いた。未消化がエビが出てきたのを憶えている。

 

その後、そのアルバイトを辞めてしまい、二度とその老人とは会っていない。

 

老人がもし生きているとすればゆうに100歳を越えているだろう。

その25

ホントにウソな話だが、

 

わたしはドッペルゲンガーに会ったことがある。

 

ただし、それはわたし自身ではあったが、子供のわたしであった。

夏。祭りの人込みにまぎれて、ひとりの子供がわたしを真っ直ぐに見ていた。

 

わたしもその子供を不思議な思いで見つめ返した。

 

わたしは気付いた。子供の顔や服に見覚えがあることに。それは紛れもなく幼き日のわたし自身だった。

 

一瞬、目を逸らすと、次の瞬間、子供は消えていた。

 

ドッペルゲンガーに会うと死ぬと言われているがわたしの場合、まだ生きている。