その28
ホントにウソな話ですが、
わたしはトム・クルーズが大好きだ。
20代のはじめの頃は、好きという気持ちがピークで、わたしは居ても立ってもいられず、トムが映画の撮影で滞在しているというメキシコに飛んだ。
はじめての海外旅行。
わたしはよりによってメキシコというハードで危険度の高い場所を選んでしまった。
トムの滞在するというホテル(後にその情報はガセだと知る)にタクシーで乗り付けたわたしは、勇んでエントランスに乗り込もうとした。
が、料金を払ったタクシーは、、、、
なんとわたしの荷物を全部トランクに乗せたまま走り去ってしまった!
お金もパスポートもそこに入っている。わたしが持っているのは唯一、トムに折ってあげようと思って持っていた折り紙だけだった。
すべてを失ったわたしは道端の大道芸人の横で折り鶴を売って日銭を稼いだ。
お茶を奢るというメキシコ人が何度も現れたが、わたしによくしてくれる大道芸人たちは「睡眠薬が入っているからやめろ」と警告してくれた。
油断できない。そして帰れない。
警察が探しにきたが、なぜか逃げてしまった。母国で心配していた両親が手を回して警察を動かしてくれたのだが、わたしは何故か警察に捕まったら牢獄行きだと思い込んでおり、逃亡者のように逃げ回っていた。
2週間ほど経った頃だろうか、やがてついに警察に捕まることになる。
それからもなんやかやあったものの、どうにか帰国することができた。
トム・クルーズに折ってあげるつもりだった鶴は、すべてメキシコ人の手に渡ったが、今思えば、それも悪くはない。
その27
ホントにウソな話ですが、
わたしは一時期、明晰夢を見る訓練をしていた。
明晰夢とは、自覚夢ともいい夢の中で「これは夢だ」と自覚することだ。
訓練のピーク時では、ある程度の確率で明晰夢を見ることができるようになってきた。
夢の中で、ある瞬間、ここは夢の中だ、と気付く。
そうすると夢を自由に創造できるようになる。夢をコントロールできるようになるとまず何をするかというと、ほぼ二つに絞られる。
ひとつは空を飛ぶことだ。
もうひとつはセックス。
わたしはその二つを夢の中で楽しむことに習熟した。やがて欲張りで横着者のわたしは一度のその両方を実現することを試みた。
空を飛びながらセックスをする。それは精密な集中力を必要とする非常に難易度の高い行為だった。
理想の異性を創造して交わりながら、空を飛ぶ。それは、たとえるなら車を運転しながら、お手玉をするようなものだった。
神業とも言える集中力で空中性交を続けたのはほんの十数秒だったろうか。
すぐにイメージは崩れ、空中浮遊が乱れはじめた。もがくように宙を泳ぐわたしだったが、不思議とセックスはやめなかった。しかし、急速に高度が落ちていく。
ついにわたし(たち)は、湿地帯に墜落した。落ちた場所が泥沼だったのは、無意識に墜落のショックを軽減するためだったろうか。
身体にリアルにショックを感じながらわたしは眼を覚ました。
と、同時にオルガズムに達したわたしは、衝撃と快感に板挟みになった複雑な感覚に打ちのめされながら、ベッドの中でひとり苦笑いを浮かべた。
その26
ホントにウソな話だが、
わたしは「愛」がつく県の主要都市で生まれ育った。
その中でも治安の悪い荒れたエリアで新聞配達をしていたのだが、雰囲気の悪い団地を一軒一軒回って集金するのはなかなかの難事業だった。
場末の薄汚い団地には、一癖も二癖も連中が揃っている。
中に、いつも「兄ちゃん酒を飲んでけ!」と誘ってくれる老人が居た。
歯の欠けた独居老人で、その佇まいはとうていカタギな人生を歩んできたとは思えなかった。集金中で大金を抱えていることもあり、いつもお断りするのだが、ある日、一度は酒をご馳走になってみようかと老人の部屋を訪ねた。
老人の部屋には夏だというのに炬燵があり、そこにグラスを用意してくれ、わたしは老人と焼酎を飲んだ。
なんということはない会話を小一時間ほど続けているうちにだんだんと酔っぱらってきた。
「あっちにエロビデオある。見るか?」
老人が、そう言って指さしたのはどうやら寝室らしい。わたしは濃い焼酎の入ったグラスを片手に部屋を移動した。
老人はビデオをセットし、わたしとベッドに並んで、画像の荒いアダルトビデオを眺めた。
そのうちわたしは眠気に襲われ、ベッドに倒れ込むと、やがてまぶたが落ちていった。
数分、あるいは数十分眠ったろうか、身体に違和感を感じ眼を覚ますと、なんと老人がわたしの股間をまさぐっていた。
わたしは老人をやんわり制止したが、老人はわたしに「黙っとればわからん」と意味不明の弁解をした。
「すぐ終わるが」
「zzzzzやめろや」
安い酒が回ったのか、わたしはどうも意識がはっきりしない。
ぶつぶつと抵抗していてもラチがあかない。老人はわたしのベルトを外し、ズボンを脱がした。パンチに手がかかったあたりでわたしはサイドテーブルにあったアフリカ風の木彫りの像を手に取った。
そして、わたしの股間に顔を埋める老人の頭にその原住民風彫刻を勢いよく振り下ろした。
老人はそのままベッドの上で動かなくなり、わたしは身を引きずるようにして部屋を出た。
わたしは団地の茂みで胃の中のものを思いっきり吐いた。未消化がエビが出てきたのを憶えている。
その後、そのアルバイトを辞めてしまい、二度とその老人とは会っていない。
老人がもし生きているとすればゆうに100歳を越えているだろう。
その23
ホントにウソな話ですが、
わたしには娘がいる。ある日、娘が学校で友達の消しゴムを見て、色も可愛いしいい匂いもするということで、めっぽう気に入り「Yちゃん、わたしもこれ欲しい。これよかったら私の分も買ってきてよ」と頼んだらしい。
Yちゃんは「いいよ」と快諾してくれた。
娘はもちろん、代金を払うつもりだったし、Yちゃん自身も仲良くお揃いの消しゴムを使うことを喜んでくれていたようだった。
しかし、相手の親はそれを恐喝と受け取った。
なぜか同じ消しゴムをひと箱分買って、Yちゃんに学校に持たせて来た。不審に思った先生が事情を聞くが要領を得ない。親御さんに尋ねると、うちの娘に脅されてYちゃんが使い走りにされているという。
そんなに消しゴムが欲しいなら、たんまり買ってやるから、娘をこき使わないで欲しいという訴えだ。
わたしは仕方なく、ひと箱分の消しゴムの代金を支払い、穏便に事を済ませた。
しかし、二人の少女の友情に亀裂が入ってしまったことは間違いない。少なくともYちゃんの親はうちの娘と関わるなとYちゃんを諭しているはずだ。
わたしは呆れてモノも言えなかった。たかが消しゴムひとつを頼んだくらいで、恐喝と騒ぎ立てるとはどういう親なのだろう。
モンスターと呼ばれる親がいることは知っていたが、この事件でますますその実態を思い知らされた。
ちなみにうちの娘はいま小学3年生だが、高校に上がるくらいまで、大量にストックされたあの消しゴムを使うことになるだろう。
その22
ホントにウソな話ですが、
中学時代、うちのクラスではいじめが横行していた。
恥ずかしいことだが、わたしは加害者として関係していた。
K君という男子がいつも標的になっていたのですが、クラスの男子は面白半分に女子もいる中で彼の制服を脱がし真っ裸にして笑っていた。
当時、どうしてそんなひどいことができたのかといまでもクズだった自分を呪わずにはいられない。
定年間近だった担任の先生は学級崩壊しかけたクラスでやんわりとわたしたちをたしなめたものの効き目はない。その先生もいまでは亡くなってしまったらしい。
K君はあの日々をどんな気持ちで過ごしたのだろう。
その後、人生の中で因果が巡り、わたし自身も人に苛まれることもあり、ようやく人の痛みに共感する素地ができた。情けないほど遅すぎる学びだった。
卒業20年後の同窓会にもちろんK君が顔を出すことはなかった。会ったとしても謝罪の言葉をいまさら告げる勇気があったかどうかわからない。卒業後の行方はまったく知らない。
わたしはただ彼の幸せを願う。身勝手な言い草だが、わたしたちが曇らせてしまった笑顔を、取り戻してくれていたらと思う。償いようのない事を仕出かしてしまったことをいまでもわたしは悔いている。
だから、アレとは逆のことを、できるだけ他人の孤独を和らげ、安らぎを差し出せるように努力しているつもりだ。
後ろめたさに耐えきれなくなるとわたしはいじめのリーダー格だったMに手紙を出した。
「わたしたちは生きている価値がない。死ぬべきだ。クラスメートにあんな仕打ちをしたのは一生拭い切れない罪だ」と。
何度出しても返事はなかった。
最後の手紙から数年後、Mは40歳に届かぬ前に、白血病で亡くなった。